カテゴリー「雑記 (マジなやつ)」の23件の記事

エコか、ガマンか(エアコン編)

前回のエントリにての「めまい症状」、だいぶとマシになってきました。
お酒も控えていましたが、この暑さです。喉が渇きます。体調がよければ冷たいビールをグビグビ、冷たいカンパリをングング、要するに「欲しいときは飲んでます」ということです。

お盆を過ぎたら灼熱地獄も少しはマシになるかな~と思っていましたが、あいかわらず暑いですね。ピークは過ぎた感はありますが。
ウチにはここへ引っ越してきたときに買った「上から2番目機種のエアコン」があります。もちろん省エネ目標を100%以上達成しているやつです。
で、だいたい梅雨の時期から除湿で稼働させて以来、本格的な夏に入るとほぼ毎日午後と寝る間は冷房稼働しています。

ウチの立地としては、周りに大きな木々を含め緑が多く(グーグルマップで航空写真を見ても生い茂った桜の木なんかがモッサリ写ってる)、少し高台に構えている住居は風通しもよく、庭のなかでも木陰部分はかなり快適です。
そんな過ごしやすさの条件としてはなかなかの場所であっても、やはり2階建ての2階は暑いーー!!1階とは体感温度が全然違う。
昼を過ぎる頃から、熱せられた屋根の熱気がじわじわこもってきます。こうなるともうお手上げです。いつものやりとりが始まるわけです。私:「クーラーさま、カモンッ!!」 エアコン:「ピピーッ♪(リモコンに本体が反応する音)」 ←機械相手でもなんか反応あるとちょっと楽しい。

しずかに開く前フラップ。おもむろに動くセンサー。サァ~~~~~っと冷たい風がやさしく吹き出す。一連のこれらを見守った後に、ついつい独り言をつぶやいてしまう。「お、オアシスゥ~~ウ!!」と。
部屋はすぐに冷えるのに、吹き出す風の音とかしなくって、一体どうやってこんなに広い部屋(2Fはどーんとまるまるワンフロアなの)を冷やしてるのか…と不思議なくらいです。いちど、エアコンをつけてる最中に室外機の前を通ったことがあったけど、室外機もやっぱり「がんばってる感」ゼロで、それなりにファンはまわっていたけど静かなもんでした。ホラ、一昔前の室外機ってすっごく唸って熱風をはき出してるじゃないですか。あんなんとは大違い。

どうやら「イマドキのエアコン」って、我々が思っているエアコンのあの不経済そうながむしゃらっぷりをとっくに脱皮していたのかもしれません。それを裏付けたのが「電気使用量」でした。
7月の電気使用量と料金のお知らせの紙を見たときは、拍子抜けしましたよ。ちなみにウチの場合、7月の検針期間は6月の最終週~7月の4週目までくらいです。
7月はたしか、台風がきたりいやに涼しい日があったりで、今(8月期)ほどエアコン稼働率は高くなかったのですが、それでもエアコンを本格的に使用しだす頃からの集計ですよね。

結果は、その前の6月期(5月最終週~6月4週目途中)の2割増し強程度。細かいことを言い出すと、6月期より7月期の集計日数は2~3日多いくらいなのです。4月期分から6月期分は電気代がほぼ横ばいだったことからも、エアコン非使用期:エアコン稼働期の比較になっているはずです。

今月はかなりエアコンのお世話になっている時間が長いので、2割増しじゃぁきかないとは思います。でも、よく耳にする「夏になると電気代がイッキに倍!」みたいなことにはどうやってもならなさそうです。MAXで計算しても、平常期の1.5~1.6倍くらいでおさまりそうです。
おかげで“暑いけど電気代も気になるし、ガマンしよう…”なんてことはしてないので、ストレスなしです。汗かいたらバブシャワーって手もあるしね!

設定温度はほぼいつも28度近辺です。でんこちゃんに怒られたくないもん。これで十分涼しいです。2Fのエアコン様は設定温度を0.5度づつ上下できるので、とくに「しっくりくる温度」を探しやすいですね。たとえば、私は28度希望でダーリンが27度希望の場合、あいだをとって27.5度設定で丸く収められる、と。
ひるがえって1Fのエアコン様は除湿がたいへんお上手で、除湿だけでかなり部屋が冷やされます。頃合いを見て「冷房」に切り替えないと寒くなるくらいです。(除湿機能については「再熱除湿方式」についてもうひとエントリくらい書けるくらいですが、それはまたいつかの機会にて…。よしなに)
それぞれのエアコンの得意なところを上手に使いこなすとこれまたエコでいいかもしれませんな。

とにかく、実際に毎日使ってこれだけお世話になっているのに、思った以上にエコ(エコノミーのほう)だったので、是非このオドロキを伝えたくって今日の記事になりました。
ちょうどオールアバウトにも「今買いのおすすめエコ家電・トップ3」という記事が先週アップされていますが、そのなかに“エコの王道”という冠つきでイマドキエアコンが紹介されています。

というわけで、実際夏のあいだに使用したレビューでした。おなじみさんであれ、通りすがりサンであれ、もし誰かのためになればそれで光栄です。よしなに。

オマケ☆ ウチのリモコン入れ ↓デカとチビ↓
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ラブレター

先月は私の誕生月でした。ダーリンは忙しい合間をぬって、お洋服のプレゼントを密かに用意してくれていたり、おいしい焼き肉屋さんに連れて行ってくれたりと、とっても「イヤン、あたしってば愛されてるぅ~~」な幸せな過ごし方をできました。(すいません…汗)

でもね。いっこだけ、どうしても「譲れない」箇所があったんです。
それは「カード」。VISAだのAMEXだのの方じゃないっすよ。メッセージを書き込んで相手に贈る方のカードっす。おいおい、オマエら外人かーー??!!とツッコまれそうですが、連絡等の主体がメールに奪われている今こそ手書きの心のこもったお手紙が貴重であり嬉しいんですよぉ。ここ、同意してくれる人多いはずっ!
今までのなんらかの記念日とかも、カードをもらっていたし大事に残しています。でも、ここんとこの激・多忙でダーリンはカードそのものを用意する時間がなかったらしいの。
私は「誕生日は過ぎてしまったけど、後出しでもいいからカードちょうだい!」とお願いしました。
ちなみに去年の誕生日カードは「ojouがなんだか好きそうな絵柄ってことでヒヨコのカード」をもらいました。たしかに私が好きそうなヒヨコの絵柄で、気に入りました。わざわざそういうの見つけてきてくれたっていうだけでも嬉しいじゃないですか。
書かれていたのはメッセージといっても、そこは男性。おにゃごのようにくどくどと書き連ねない簡潔さ。
たった3行、でもものすごく嬉しかった約30文字(+オマケ)。

お誕生日おめでとう
なんだかんだ言ってても
ojouには感謝してます

ブチュ(キスマークのヘタな絵つき)

いつか、二人でうんと年をとっても、きっと覚えているのはプレゼントが何だったかよりカードに書かれたこの短いラブレターだと思う。
だからこそ、今年もちゃんと欲しかった。誕生日当日をかなり過ぎて、このあいだの彼のお休みにやっともらえました。
今年もまた、完結で短い彼なりのラブレターがしたためられていました。
今年のヤツは、まだ私の心の中で新鮮なのでここでは公開しないことにします。気を持たせるだけ持たせてなんだけど、あたしだけのモノにしておきます。ウフ。

一般的な夫婦というのは一体普段どんな会話をしているのかイマイチ実態がつかめないのですが、我々ダーリン&ojouカッポーはけっこうヨソ様から見たらラブラブな感じかもしれません。寝る前とかの会話で「愛してるよ」とか「感謝してるよ」とか「ごはんおいしかった~」とか、これまた“オマエら外人か~~??!!”とツッコまれそうな恥ずかしいセリフ言っちゃってます(爆)

そんな普段からジュテ~ムなオイラ達でさえ、誕生日カードに日頃の想いをしたためてあると「ぐっ」ときます。うれし涙がチョチョ切れます。
もしあたしがこの国のエライ人(テキトーだなぁ)だったら、国を挙げて「想いはラブレターにしたためるべし!」な政策を推進しまくります。それが浸透した頃には世界での日本のイメージは「アイランド オブ ラブ」♪少子化もぶっ飛びそうです(ホントか?)
まぁ、エライ人には興味ないのでそんな事態にはなりません。あしからず。

そんなこんなで、記念日くらいは手書きで想いをしたためて下さい。
カップルの間だけに留まらず、友達・親・兄妹・・・大切な人にはまごころを文字にかえて贈りませんか?
↑あ、なんかキレイすぎなまとめ・・・あたしらしくないっ?!

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トリノのことと、白馬の思い出のこと

とにかく里谷にはトリノへ行って欲しい。
泥酔事件だって、なんかマスコミがおもしろおかしくクラブ店長の不良外人が言うことをそのまんま載せちゃったって感じで、世間はひどいことをするもんだと憤慨していた。いくら女潔のタエさんとはいえ、クラブでセックスするわけないじゃん!そうはいっても、人の噂も七十五日…だっけ?四十五日?ありゃ?何日だ?まぁ、いいや、要するに2~3ヶ月もしたらすっかり人々の頭からそんな不甲斐ない噂など抜けきるだろうと楽観的に思っていた。
でも、昨年はず~っとタエちゃんの練習情報とか活動状況のプレスがなくて「マジで、どーなってんだろう…」と心配していた。

いよいよトリノへの切符争いになり、愛子ちゃんが一番を切って代表入りしていったりしても、なかなか里谷は結果を出せず。そして今回の予選落ち。この大会で畑中みゆきは結果を出して、タエさんより先に代表入りを遂げることがが出来た。あと一人、枠が残ってるしここは「天才・タエ」を出して本番でまたアッと言わせて欲しいにゃぁ~。

タエさんは、マジで「天才」だと思う。もちろん、何もしないでも結果を残せるような生まれ持っての天才なんてどこの世に存在しないのはわかっている。タエさんは、練習がキライなのだそうだ。ちなみに、お酒は大好きだそうだ。練習はキライだけど、しなきゃハナシにならないのでコーチがひっぱってやらせてる。
モーグルしてるとこしか我々は動くタエさんを見ることがないけど、ほんとはどんな斜面や雪でもめちゃウマイ。というか、基礎スキーやらせてもめちゃくちゃスゴイ。エッジの効かせ方とか板の落とし込みとか、コンマ何秒のその瞬間瞬間に全ての状況を足裏で感じ取って対応しちゃってるその「野生?!」みたいな滑りが大好きだ。

そんな私の憧れであり、期待の人、タエさん。ぶっきらぼうなしゃべり方がなんだか北国の人っぽくて、またスキだ。武勇伝がいっぱいあるタエさん。とりあえず、合宿では酒の武勇伝ばっかり作っていたけど、そんな呑まれちゃうタイプのかわいらしいタエさん。
なんとかして、トリノへ行かせてあげたいスキー連盟も今回はがんばっているようだ。もしかしてもしかしたら、女子フィギュアスケートのデキレースのように結果云々は関係なくスポンサーやらの絡みで実は内々に代表4人は決定済みだとしてもやはりタエさんはトリノに必要だ。
あの大会慣れした貫禄と、本番に力を200%発揮する変な神通力みたいなモノを持っているのはタエさんだけだ。大舞台になればなるほど見せるあれほどの集中力、トップアスリートの中でも群を抜いていると勝手に私は思っている。

さて、2枚看板のもう一枚、愛子ちゃんだが。実は愛子ちゃんがまさかあんな有名になるとはつゆ知らず、実は白馬でよくお見かけしていた。そんなにコブが上手じゃない時代の愛子ちゃんを知っている(えっへん♪)。時系列で言うと愛子ちゃん当時まだ中学生(?)くらいの頃のハナシだと思うが、白馬に白馬乗鞍というゲレンデがあって、そこの割と上の方、「里見ゲレンデ」の「第3リフト」という場所がコブ好きに愛されていた。というのも、現在のようにあちらこちらにモーグルコースが整備されてなんかいなくて、誰も文句言わずに自然コブをわざと作って遊んでいた。無茶なボーダーが入ってきてコブの頭をつぶすと「も~~~っ!プンスカ!!」ってみんな心の中で斜面から早く出て行ってくれるように呪ったモンだ。で、当時の白馬のコブ好きは八方か里見に集まっていた。愛子ちゃんは一人でもくもくと滑っていて、みるみる上手くなっていったのを覚えている。その上達の早さにびっくりしまくりんぐ。リフト乗り場で「あ、こんにちは」「よく会いますね」程度の会話はしたけど、わぁ残念!…、仲良くなっておけばよかっただろうか。ん~、同年代ならアリだったかもね。
同じ頃、附田雄悟が里見にモーグルのセルビデオの撮影に来ていたりと、なかなか白馬は賑やかだった。今はなんだかなぁ…この空き加減がにんともかんとも寂しいよぉ…だけど。ガンバレ白馬!

ちなみに、その当時の憧れ選手第1位はモーグルの貴公子ジャンリュックさまだった。彼は顔もイケテたので、さらに私の中の王子様度がアップしたのは言うまでもない。ジャンリュックの名前が出てくるあたりで、ちょっと年がわかってしまいそうでコワイのだが(笑)。
そしてそして。ダーリンと出会ったのもその白馬だ。(冬だけ白馬にいたのは何年かにわたっているので、厳密にはすべての出来事がある1年に起こったわけではないですよ)「ダーリンは私の白馬の王子様なの」なんて冗談言ってたけど、マジであの日あのとき(by 小田和正)ダーリンが私に一目惚れしてくれていなかったら今の私はいない。

そんなこんなで、白馬は私の思い出以上の地なのだ。こういうわけで、白馬高校出身の愛子ちゃんにももちろんメダルを獲っていただきたいと思っている。タエちゃんにもメダル獲ってね!と思っているのに、全く欲張りではあるが本心だ。
そしてそのうち、雪なし県などからもスキーやスノボの選手が活躍してくれたらいいなぁと思ってます。

まだまだ“圧雪車のタラップから見下ろす下界はいい眺めだ”とか“雪の田んぼはパラダイス”とか“「雪やこんこん」の♪犬は喜び庭駆けまわる♪はマジだ”とか、“凍てつく道はキャタピラ最高!”とか、イロイロお話がありますが、またの機会に。
まだ今シーズン、一度も滑りに行っていないのでストレス貯まってきました。本来なら今日、ワックスをはがす作業をしようと思っていたのに右肩だけ変な痛みがあって見送り(たぶん寝る姿勢が悪かったのね)。こんな状態だから余計に雪へ馳せる思いが募ってしまい、こんな記事になっちゃいましたぁ。
先日、三浦じいちゃん(101才)がお亡くなりになったけど、彼のように一生スキー(あたしは+海もね)を愛していきたいと思ってます。最後に、三浦敬三氏に哀悼を捧げます。

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当たり前は当たり前じゃない

おいら、so-net blog育ちだ。接続をADSLから光に変えたと同時にプロバイダも変えたから、元プロバイダのso-net IDが消えると同時にblogも消えるのだ(厳密に言うと、まだきえてなくて残ってる:9月10日夕方現在)。だから、新プロバイダであるniftyのココログへ(焦って)引っ越してきたわけ。

つい先日、その古巣のso-net blogがメンテ開けだったようだ。フタを開けてみれば広告が入るようになっていた。強制的に。ほほ~、字だけのリンク&短めの概要だから目立たない・控えめだとso-netは思ったのでしょうなぁ。でも、ユーザーは相当ウザがっているみたい。今は私はユーザーではないけど、閲覧する人間としても「記事を探す」ところまで広告がトップにきていたのはちょっとウザかったなぁ ぶっちゃけ。
イカンねぇ、ユーザーの気持ちを離れさせるようなことしちゃぁ。

ひるがえって。ここココログではMacで一部のブラウザやOSのかねあいで記事作成やコメント投稿ができないという不具合がある。ココログは接続会員は無料だけど、その他のメンバーさんは有料だ。だから一応「有料ブログ」として考えると、この事態はやっぱりサービスが行き届いていないと言えるだろう。
ココログでは、ユーザーはどの程度「サービス面で居心地がいい」と思っているのかまだここに来たばかりの私ではわからない。可も不可もあるけれども、平均したらそんなに悪くないと思っている、今は。第一、ここは正式版だ。ソコがなんとも安心できるよりどころ。

ハナシは少し方向を変えるが。どうも最近、「サービスとはなんぞや」的解釈をはき違えていたり、全く無視したサービス業・商店(ネット商店含む)・企業が増えてきたようなかんじがする。それか、消費者がサービスを享受することに、より敏感になってきたというのもあるかもしれない。
モノを売る商売と違い、サービス自信が商品ですというフィールドで顧客サービス・顧客満足をフルに供給できないって致命的だと思うのですが…。
「今まではこんな(お役所)仕事でもそれなりに儲けられたし客も文句言ってこなかったから」っていう変な慣習のもと、高飛車な営業方針が根付いてしまっているトコロ…。
「ウチは昔からこういうやり方なんじゃぁ。気に入らんかったらヨソいってくれて結構」みたいなウチウチだけで社内での風通しも悪く頑固にオレ流を貫く融通きかないトコロ…。
あまりに家族内企業すぎて、2世3世のトップがド素人の経営・営業で好き放題のトコロ…。

あるあるある~!って思う方も多いんじゃないでしょうか。サービスはタダっていうイメージが強かったここ日本も意識が急速に変わってきています。そして、時代の移り変わりの方向を見るにつけ、変わらなくてはいけないと思います。どうも(旧)日本人は目に見えないもの・形のないものには、お金を払うのに抵抗があるみたいですが…。とっくにサービスもお金で買う時代になっています。というか、サービスには立派に金銭的価値があるのですから請求されるのも支払うのも当然です。

もちろん、この世には無料で受けられるサービスもたくさんあります。享受側と提供側の利害が均衡していれば、それは「アリ」であり「まっとう」なのですから。
でも、タダだからってサービスの質を低く設定してもいいと提供側が安くお客様を踏むようなことは絶対にあっちゃぁダメです。そんなこっちゃぁ、サービスの本質から外れまくってソコは漂流しているとでも表現するのがお似合いです。

当たり前と思っていることが、実は思いこみだったり時代の流れに逆行していることって普段の生活でもフト気がつくことってありませんか?
これは、決して個人だけのハナシではなく企業だろうが政府だろうが学校だろうが、要するに「団体さん」だって当てはまるのです。

準備もろくにできていないのにむやみに(目先の)「お客さんの数」ばかりを追い、せっかく来てもらったお客様にガッカリを味わわせ評判を落とすくらいなら、いらないことは何もしないでただただ一人一人のお客様に誠心誠意を尽くした結果じわじわと評判があがってしばらく後には大繁盛!のほうがいいに決まってます。

上のハナシは、どういうケースがモデルかとかそういう具体的なのは別になんにもないです。お店に置き換えてもいいし、個人ブログにおきかえてもいい。ブログ運営サービスにおきかえてもいい。

たまたまso-net blogの広告が評判最悪っていうハナシとココログにMacユーザーが冷遇されているっていうハナシをからめちゃったけど、どちらも即、批判する気持ちは今ないです。クレームを即座に善処して、評判悪→良に変えることだって可能ですからね。そして、それこそがサービスと言えるわけで。
今回は、サービスって奥が深いねぇって思うきっかけを与えられたナっていうところです。ただ、それだけ。

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緊急業務連絡 マックの方たちへ

ココログに移ってきてから、コメント欄にコメントを書き込めないというマックの方からの書き込みがちょくちょくあります。
大手ブログサービスのココログが、そんなんでいいのか?!と、思いますがヘルプを参照したらこんなん出てきました。

Safariでの動作について
↑要するに、ココログはSafariは推奨してないらしい。動作確認でどうもうまくいかないということらしいです。ページの最後に『現在原因究明と対策検討を急いでおりますが、基本的には、Safari特有の問題であり、Safari側で対応していただく必要があるようです。』って書いてあるのが哀しい・・・。私がSafariをもし使っていたら、「なんじゃそりゃ~」って怒っているかもしんまい。

文字化けしたりアクセント記号が表示できない
↑エンコードがUTF-8でないと、うまく書けないらしいです。ブラウザの 表示>(文字)エンコード>UTF-8 かどうかを確認してみてください。コレでなんか解決しそうな気がするんですが・・・どうなんでしょう?

私はブラウザはMozillaを使っています。
so-net blogではHTMLを使う記事はI.E.でないと作成できずにめんどくさかったです。だから、ココログに来てMozillaのままサクサク記事作成ができるのは嬉しいと思っていました。

でも、Macでコメント書き込めないって、やっぱ「かなり」不便ですよね。もういいや、ってあきらめちゃう人だっているかもしれないのに。

もし、エンコードとかの方法でも解決しなかったらお知らせしてください。私からココログヘルプに問い合わせしてみますから。

追記:kikkaさんのご厚意により、とっても参考になりそうなブログを下に紹介しておきます。IE使用者は特に読んでみてくださいね~
大人になりきれない人の日記(仮題)9月6日の記事
↑カテゴリーに「Mac」ていうのまである頼りになるトコロ

TBもいただいていますが、どっちから飛んでも一緒の記事よん♪

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すげぇサムライに恋しちゃってる!

世界水泳、見てますか?http://www.montreal2005.org/eng/index.cfm(公式HP 英語)
かわいくもなんともないカッパがマスコットらしいですが、対してFINAのマスコットはかわいいイルカちゃんです。DOUXIっていいます。←日本での認知度がゼロに近い位低いので、せめて私のブログで宣伝してあげることにします(アンチ バカ面カッパ派)。しょーもない前フリだけど、今日のojouは熱いよ!

今、すごいサムライが世界のヒノキ舞台で活躍していますよぉ~。彼の名は北島康介。やんちゃそうな顔もチャーミングですが、とりわけ注目を集めるのはその彼の言動でしょう。

シドニーでは惜しくも4位で、悔しい思いを噛みしめた。このとき北島、高校3年生。 そして世界水泳福岡に向けてこんなことを言っている。
「世界のアタマになりたい。大和魂でがんばります」
すごいわ・・・。彼のなかで大和魂とはどういう定義づけがされているのか、そこまではわからないが、是非聞いてみたいと思う。もう、なんか、彼にはとてつもないサムライの風が吹いている!!
言うなれば「オスの魅力ムンムン」であり、 「この道で自分は一番でありたい!という心意気が眩しい」ヒトであり、「そのためにはストイックでありつつプライドは高い」アイデンティティーのある人間・・・てトコかな。
近代になってサムライ時代そのものは幕を閉じても、こうして脈々とサムライDNA(?)が我々日本人のなかに受け継がれてきてるのね。なんだか嬉しくなるよ。
ちなみに。サムライおよび武士道については、新渡戸稲造さん(お札のヒトだよ)の著書『武士道』が一番よく理解できると思います。よければ、ご一読を。

こんなサムライをオンナがほっておくはずがなく、北島は「抱かれたいオトコランキング・スポーツの部門」No.1です。くそっっ!!ライバル多すぎ~!!私だって抱かれたいわい!!
なにしろ、ちょうど現在やってる世界水泳のおかげで北島選手がテレビに出る頻度も多い昨今、彼が画面に映るとなぜか「胸が高鳴」り「ドキドキしてしま」います。ちょっとポ~~ッとさえ、なってしまう始末です。これは、もしや、恋??!!
テレビ画面で顔を見るだけでドッキドキするのに、インタビューとかに答えている「動く・話す北島選手」なんか拝んだ日にゃぁ、ちょっと緊張(?)して喉が渇いてしまいますやはり、これって、恋??!!

ダーリン☆ラブのこの私をして、恋焦がれさせてしまうんだから北島はやっぱりすごい「オス」ということになりますね。なにしろ恋愛成績表においては「魔法使い」の私がこんな状態ですからね。わは。

さて、私の王子様・北島選手は今回の世界水泳では100Mブラストではライバルのハンセン(USA)に金を譲ってしまいました。自己ベストは更新できたのですが試合前に「59秒の前半を狙いたい(大会新or世界記録ってことですヨ)」と言っていただけにタッチが合わなかったのはイタイ思いをしました。
ハンセンはアテネでは、北島の作戦にまんまとハマって銀だっただけに今回の金はまさにリベンジですね。同じ種目なので当然ですが、この二人は知らない仲ってわけではありません。 アテネでの北島選手の策は「ハンセンをわざと無視」でした。“自分のほうからはあえてフレンドリーな接触をしないことで、精神的に優位に立とうとした”とか報道では書かれていました。やっぱ、サムライだ。こうして自らプレッシャーを作り出して「非常に高負荷をあえて自分に与えて集中力を高め」たのです。
ハンセンも今世界陸上のレース後インタビューに答えていますが、“(誰かのペースに乗ってしまわないように)視野を遮って泳いだ”結果が金メダルです。つまりは究極、「自分のレース」が出来たほうの勝ちなのだ と思います。

また、今回の世界水泳で北島選手はキャプテンも務めている。そして、ぱっと見の外からでもわかるくらいチームは一丸とまとまっている。北島が出場権を獲得できなかった200Mブラストで「とにかくメダルを死守したい」と意地で本当に銅メダルを獲得した今村選手のインタビューでも、「康介が出られない分、なんとかメダルを」という言葉が出ていた。今村にとっては北島はキャプテンであり憧れの存在でありながら、“康介”と呼ばせている北島の人柄がしのばれた。絶対、「めちゃくちゃいいヤツ」なんだろう。他の選手も「康ちゃん」と呼んでいたりするし、やはり輝いているヒトは愛され度もハンパないね。

北島のまっすぐでポジティブな考え方が、周りのヒトを巻き込んでいく。前向きな発言と実行力で、支援者をどんどん自然発生的に増やしより目標へと近づく。求心力のある人間性と超・前向きなベクトルが、彼に世界で勝ち抜ける力を与えたのではないでしょうか。 もしかすると彼の言う「大和魂」とは、「高い目標設定、そしてそのことを公言する高負荷な環境をあえて自らに課するという精神力の高さ」なんだろうか・・・などと私は考えをめぐらせています。そしてこれを一言で言うと、 「志(こころざし)」ではないか、と。

いやぁ、やはり大変なヒトに恋しちゃったなぁ~~・・・。
北島康介というサムライは、自分の道をみつけ、その道で一番になりたいと努力し、我々に多くの感動と幸せを与えてくれています。彼が言い放った「超・気持ちいい!!」で、あまつさえテレビの前の私達もその超・気持ちよさを分かち合えたではないですか。
オスとしてこれほど十分な魅力をもつ彼が、今後どんな活躍をしてくれるのか楽しみで楽しみでしょうがありません。

終わりに。オスとして輝きたい男性諸氏(もちろん輝きたい女性諸氏も)は、是非彼のサムライイズムを勉強して険しくても自分が一番好きな道で一番を目指して下さい。それがきっとモテる秘訣であり、オス度を高める秘訣でもあるのです。なにも転職しろとか、そういうことではないです。人生の目標を、今の仕事の目標を、胸を張って公言し、応援してくれる人をつくって感動させましょうよ。達成できたその瞬間、仲間やパートナーと「気持ちいい」を共有できたらそれって すっごくステキじゃない?それがなによりのみんなへの感謝であり、自分へのご褒美だと思うよ。

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「仕事だから」症候群

タイトルは「仕事だから病」にでもしようかと思いましたが、病気じゃちょっと重過ぎるので症候群にしました。
なにかと「仕事だから(しょうがない)」と屁理屈で現実から逃げるヤツのことです。しかも、そう言いつつちっとも生き生きしていないところを見ると現実逃避しきれてない。なにがしたいんだ、一体!?とつい思ってしまいます。

これね、言われたほうの身にもなってヨです。たとえばデート中「これからいいトコロ」なのに彼or彼女がそろそろ帰ろうかなんて言い出す。アナタは「え~?」となる。そこで彼or彼女の口からこの言葉が飛び出す「仕事だから・・・」。そんなこと言われてもこの状況ではそんなセリフ、ゴミ以下なんだよ!!ぷんぷん。

たしかに「仕事」って言われるとなかなかそれを犯す勇気は出ません。“アタシと仕事どっちが大事なのよぉ~!”(←コレ言っちゃうバカはまず出直して来いってカンジっす)って考えにいたるナンセンスはこの際スルーでいきますが、この「仕事だから」が口癖というかすぐに口をついて出てくるのは要注意だと思います。

どうしてかというと、どーも「仕事だから・・」と言うときの表情がみなさんおしなべて憂鬱そうだからです。言ってる本人は自覚しているのかわかりませんが、そこには必ず仕事への依存があります。イカンよぉ、依存は。結局、依存って楽なんだよね。人間、つーい楽なほうへ楽なほうへ流れてしまう。依存とは自分で考えるのをやめることです。依存とは判断をすべて任せてしまうことです。依存には責任も苦しさもないのです。だからこそ人は依存というブラックホールに吸い込まれがちなのです。しかし、かといってそうやって「仕事だから・・・」と言うことに対して自分でも窮屈さ・空虚さを感じているはずです。

そんな閉塞感・脱力感を感じるのも当然です。なぜなら、「私はこうしたい・あぁしたい」と思考する自分を差し置いて仕事によっかかるからです。「~しなければいけない」的思い込みが強いからそうなるんです。自分で決め付けちゃって、自分でどんどん居場所を狭めているようなもんです。セルフ四面楚歌!

甘いですな。そんなんじゃ恋愛仙人にも仕事バリバリ君にもなれませんゼ。
漠然と“仕事しないとヤバイ、コワイことになる”と思い過ごしてることないですか。漠然としかとらえてないから、余計コワイんです。もっと細分化してみたら不安材料なんて案外いっこいっこは思っているよりはたいしたことないって気がつくはずです。コワイコワイと思うから柳の葉っぱでもオバケに見えるのと一緒です。もっと落ち着け!落ち着こう!気持ちを落ち着けることができたら、ハラもすわることでしょう。

落ち着いたところで、さっきのデート中のシチュエーションになったとして結局選ぶ内容が「仕事」だったとしても、もうたぶん、「仕事だから・・・」と“オレだってしぶしぶなんだヨ”みたいな顔をしなくても済むはずです。「私は明日万全の調子で仕事をしたい。だから今日は帰ってもう休むよ」という答えならば、言われたほうも「ウン、がんばって。仕事に前向きなアナタもスキよ」って素直に受け入れられますよね。そしてもちろん、漫然とした不安が一掃されたその人自身も“こうしたい”と思ったことへの気持ちや思い入れに今まで「仕事だから・・・」と言っていた時と大きな違いを生むことでしょう。

恋愛だろうが仕事だろうが政治や宗教でも、「コレが私にとってとっても価値があるんデス!」というものにはそこへ向かうエネルギーは前向きで情熱的です。
「私はこうしたいから、○○をするのだ」という気持ちで行動するほうがいいに決まってます。悲壮感漂わせて周囲の人を「またそのセリフかよ・・・!」って思わせるより、「前向きだな~。ヨシ、アンタを応援するよ!」って思わせたほうが強いでしょ。

甘いイコール若者の専売特許って思っていたけど、この「仕事だから・・・」の口癖はいい年こいた人でも言う人はたくさんいます。私は言いたい、アンタそんなままだと何も手に入らないし、アッっちゅーまに年とるゾ!!いーかげんな年のとり方しちゃうゾ!!もっとさぁ、こう・・・、パァ~っと前がひらけたような意識持とうよ!! 

・・・以上、ojouの主張でした。 

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食べるイコール命をいただく

日常茶飯事、とはよく言ったものでコレら抜きでは我々の生活は営めないわけでして。茶も飯も、私はこだわってますよぉ。ま、その話はまたいつかどこかで。

さて、生活に欠かせない食ですが、昨今いろいろな問題が食卓を賑わしていますね。BSEとか鶏インフルエンザとか。個人的なところでは、4月末に私は「胃潰瘍」と診断され食生活には今非常に気を使っているところです。
しかしそんなニュースもどうも「聞きなれてしまった」感が少しアリで、どうにも恐ろしいです。生命に直結する問題なのに、「またかぁ」で済ませられるわけないのですが意外と報道からは「またかぁ」な雰囲気がチョット伝わってきます。以前はもっと騒いでいたはずです。もちろん、むやみに騒ぎ立てて消費者にいらない心配をあおるのは最もダメダメ行為ですが、やはりもちょっと深刻さを伝えてほしいなと感じました。
USビーフのBSEがみつかり、輸入停止措置がとられて早何ヶ月。おかげでそれまでの需要と供給バランスが崩れてオージービーフ等の輸入牛肉まで値上がり、ましてや和牛・国産牛の値上がりはハンパないです。そして代替の肉である豚や鶏肉までもが値上がり。いかに日本がアメリカ牛に頼っていたかを思い知らされました。もうとっくに日本は自給自足できない国だということは知っていましたが、ひょっとしてひょっとすると世界がえらいこっちゃなことに陥ったら兵糧攻めで日本は即アウトでしょうね。

それにしても。鶏インフルエンザは「インフルエンザウィルス」のせいだとわかっていますが、BSEはもっと怖い。だって、変質したタンパク(プリオン)のせいだと巷では理解されていますが、実際のところ「BSEの原因と証明された」わけではないのです。え~?じゃぁなんのせいなの?って言ったところで、まだ現段階ではわからんだらけの病気です。そこが怖い。

Ooops!別にお肉にまつわる怖い病気のことが書きたかったんじゃないんです。我々のカラダって、想像以上に忙しく働いているんです。なんか食べたらまずカミカミから始まって胃腸まで休みなしに消化・吸収されていち固体だった食べ物が分子レベルまで分解されちゃいます。なんで分子レベルまでかっていうと、新陳代謝めまぐるしい我々のカラダのいちタンパク、いちアミノ酸、ほかさまざまな必要物質と置換されるからです。例えば“カレーライス&野菜サラダ” と“私の体”は見た目は違うけど、分子レベルでは似たもの同士です。科学的なことは何一つ私は知らないけど、構造とかつながりの順番とか分子のでかさが違う程度でしょう。

つまり、今日のカラダは昨日食べたカレーライス&野菜サラダで出来ているようなモンです。いや、もちろんこれはとっても乱暴なたとえで大まか過ぎる説明ですが、まんざら間違いでもないわけで。言いたいのは『食べたものが我々の命に直接に、それも多大な影響を与えているのだ』ということです。
そう考えると、食べ物にまつわる怖い病気のこととか、しいては口に入る食べ物すべてに安心が欲しいのは言わずもがなです。関心の高い人が、値段は高いけど無農薬で育てた野菜や生産者の顔が見えるお肉を求めるのも素直にわかります。

食材の原産地表示がいよいよ外食産業にも実施されますが、消費者にとっては待ちに待った施行です。情報開示されることで、ますます安全かどうか・信頼できるかどうかを考えるいい指針になればと思います。結局のところ、食べるものを選ぶのは自分自身、ひいては自己責任だということをアタマに入れて賢い消費者になればいいんです。どうせなるなら賢い方!

そして、さっきの「今日のカラダは・・・」の話に戻りますが、食べたものにも必ず命があったことを忘れないでほしいです。いや、というより、私自身忘れがちなのでちゃんと意識していこうという思いです。だって、"豚バラ薄切りパック"を見たからといって「豚さん、ありがとう」って即座に出てきますぅ?やっぱ、どうしても「肉は肉、それ以外になんかあるの?」って思いがち。
人間って食物連鎖のトップにいて自分達は誰かに食べられることがないから、ついつい命をいただいているということも忘れがちなのだろうか。
しかし、食べたものの命あってこその今日の私の命なんだと思うと、とてつもないかかわりを感じずにはいられません。

日本語の「いただきます」はもしかしたら「命をいただきます」という意味もこめられているのではないか。もしそうであるならば、先人達はなんと生命の関わりを深く理解していたのだろう、と頭が下がる思いです。
文化や言語によっては「いただきます」がないところも多い。私が日本語を使う民族に生まれてよかったかも、とBSEと鶏インフルエンザがきっかけでそんなことまで考えた今日この頃。いいニュースではないにしろ、食を考えるよいきっかけになったと思う。

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ご褒美

いきなり犬のしつけの話から始まるんですが。
犬って小さい頃にちゃんとしつけておかないとダメって思い込みありませんか。でも、そうじゃぁないんですよ。もちろん、小さい頃の何にでも興味を持ってくれる時期に教えるのはコッチも楽ですけど。成犬になってからでもちゃんとしつけ・しつけなおしは十分に出来ます。よくできたね、ってたくさん誉めてあげることとご褒美。これで犬は「こうしたらご主人様は喜んでくれるんだぁ~」「これしたら大好きなジャーキーくれるんだぁ~」って覚えてくれます。ご褒美ってなにも食べ物じゃなくてもいいわけで。
好きなオモチャで遊んであげることがご褒美になったり、鼻をチュッチュッチュ~~ってキスしてあげるのもご褒美になったり、カラダ全体をわっしゃわっしゃぁ~ってなでてあげたり。要はそのコが「ウレシイー!」って思うことがご褒美になるんですね。
犬との関係が信頼と愛情で結ばれているなら、ご主人様はうちのコが何が嬉しいかわかっていると思います。

さて、これを自分に置き換えてみると。いや、しつけじゃなくてご褒美のほうね。
なにか、目標を持ったときにがんばった報償が「自分へのご褒美」として位置づけられるとして、さて、何が欲しいっけ・・・と考えてしまう。私は。

子供のときもそうだった。「クリスマス、サンタさんに何をお願いする?」って聞かれても「うーん、とくに」って答えるヤツだった。よく言えば“物欲がない”とも言えるし、イヤミにとれば“そんだけ満たされてるのねフン”と思われなくもない。今から思えば、子供の時の事情はその両方だった。

たぶんだが、クリスマスって「無条件にプレゼントをもらえる機会」だったわけで決して「なにかを成し遂げた結果もらえるプレゼント」ではなかった。ま、なかには例えば“勉強頑張ったらアゲル”とか言われてきた子供もたくさんいるだろうけど、私に限って言えば小さい頃とても「いいコ」だった。だからプレゼントをエサになにかをさせるようなことを親はしなかったように記憶している。
そこらへんが、どうも「うーん、とくに」と言わせた要因が潜んでいそうな気がする。つまり、なにかをもらうモチベーションとして非常に薄かったのだろう。

なにか目標を定めたらとにかく自己管理は大切になってくる。自己管理ってなんだ?スケジュール管理・体調管理・えーとそれから・・・。おぉ!コレ、かなり需要じゃない? 「モチベーション管理」 。管理っていってもそんなに難しいものではなく、要は「下げない工夫」だろう。ところが、我々人間ってホント弱いよな~って思う。有名な起業家や社長さんの自伝とかを見ると「挫折を知らない・タフな」人がたくさんいて頭が下がる。やっぱりあぁいう人たちは特別なのかなぁ。

ひるがえって。自分なんかす~ぐサボっちゃうし、す~ぐ挫折しかける。あぁいう時はモチベーションが下がっている状態だね。下げないために、キリのいいところで小ゴール・プチゴールを設定しておく。そのときに「ご褒美」登場となるわけだ。
つまり、逆に言えば目標を立てたら次にプチゴールも用意して、プチゴールのためのご褒美も考えとかなくてはいけない。そうなると、自分にとっての「お楽しみ」って何なのか考えるいい機会も生まれる。

こうして考えると、モチベーション管理には「自分が何が本当に嬉しいか」を知ることまで含まれる。ひいては自己管理にも当然それが入ってくる。

ご褒美=自己管理の一環と思えば、けっこう贅沢を望んでもそれはそれで気持ち的にキレイに消化できる。おぉ~!なんでこの論法にもっと早く辿り着かなかったのだろう、私!!何かを成し遂げるための苦痛を和らげるペインキラー、モチベーションをアップさせるカンフル剤、自分を叱咤激励してくれる「お楽しみ」。どんな表現でもいいけど、こんなに楽に自分を許すことができるのはとても心が軽い。

(コレ読んでくれた)みなさんもただ“今何が欲しいか”ということではなく、自己管理のひとつとして“何が自分はうれしいか”分析してみるといいかもしれません。
ところで、今、こうしてブログを続けている。とくにゴールはない。強いて言えば、継続こそがゴールであって継続していく以上「ここでゴール!」なんて瞬間は永遠にやってこない。私、そんな禅問答のような行為やってるんだ・・・。笑

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語彙力は大丈夫デスカ?

日本語が母国語のみさなん、ごきげんよう。
学習院ではあいさつはコンニチワもサヨウナラも全部「ごきげんよう」です。どうもザーマス風でいまいちなじめませんが、慣れるとこっちが出てくるらしいです。

すいません、また無駄話から入ってしまいました。どうも本文と関係ない前フリをするのがワタシの悪い癖のようだと最近うすうす気がついて参りました。

さて、日本語で育てられて日本語の環境で生きているとまぁフツウ日常会話には苦労しません。当たり前です。でも、語彙力はけっこう差がついていることになかなか気がつかないもんです。はっきり言って、「親の学力」「本人の学力」「学歴」「住んでいる地域のレベル」etc・・・でかなり個体差があります。語彙力という細かい分野に目を向けなくても「国語力」としておおざっぱに見てもやっぱり差がついています。

といって、国語力や語彙力は気がついたらいくつからでも勉強しなおすことが出来るのが良いところでもあります。「やり直し英語」なんて勉強法があるくらいです。「やり直し日本語」があってもいいのでは?と思います。どうも外国語習得には熱心なひとも、自らの日本語力にはあまり興味を持たないようです。
これじゃぁ、イカン。やっぱ、哀しいかな、ボキャブラリーの乏しい人との会話ってつまんないし“この人ちょっとバカ・・・?”って思わずにはいられない。

ワタシはボキャブラリー豊富よん、なんて人も本当に「豊富な語彙力」があるかどうかわかんないですよ。単語をたくさん知っている=語彙力アリとはカンタンにならないもんです。「力」って最後についているのは、そーゆーことを示唆していると思っています。 「力」のレベルにまで押し上げるためには、自分の持つ語彙をちゃんと使うシーン別に使い道をわかっていてそして実際アウトプットできるようにならんと。誤解されがちなのは “単語の意味知ってます”だけで、語彙力大丈夫って満足していること。これじゃぁ、イカンです。

なんでこんなことを思うようになったかというと、このあいだエステで美顔の施術してもらってるときのエステシャンとの会話が「ダメダメ」だったからです。
状況:ベッドにあおむけに寝ている私の顔をエステシャンAさんがマッサージしてくれている。Aさんはフィットネスクラブに入ろうと思っているらしい。そこで、なんだかんだ運動している私の話を聞きたいということだった。そんななか「やっぱ筋肉は柔らかくしとかないと」という話題に言及しだしたとき。
A「・・・でもねー、私、すっごいカラダかたいんですよー」
私「へーどのくらい?」
A「あの、手がなかなか届かないんですよ、カラダを前にやるやつ、こうするやつ・・・」と言いながらなんだかごそごそしている雰囲気。
私「ねぇ、もしかして前屈のこと言ってる?そんでもって、もしかして私が目を閉じてるのに実演しようとしなかった?」
A「あはは、よくわかりましたねー。そうですよね、ojouさん目つむってるのにここでやろうとしかけました。それっ!前屈です~!・・・」
ウケた。でも同時にアホっぽ~い・・・とつい思ってしまった。

彼女は「前屈」という言葉は解った。言葉の意味も知っていた。でも、使いこなすことは出来なかった。「ど忘れ」とは違う。 突き詰めれば、語彙力とはつまりこういうことなのだ。どんなにシンプルな言葉でも、どんなにカンタンな言葉でも意味を知っているだけでは使い物にならない。使うべきシーンで使えないと。

エステの客とエステシャンの間柄で、ちょっとくらいこういうボロがあってもその後の関係に影響は特にないだろう。あくまでエステのプロとして彼女にこれからも顔を任せることに差し障りはない。でも、これが男と女だったら?これが上司と部下だったら?いっつもこんな調子でこっちから語を補完してあげないといけなかったりしたら?毎度毎度ど忘れの域を越えていると感じたら? マズイだろ。

そこで、思い出したことがあった。うちの弟の大学時代のことです。私も大学生、彼も大学生のとき。
アイツは大学という“今までの比較的狭い範囲の地元的友達の世界”から“日本中から集まった同世代の集まりと目上の先生達という大きめの世界”へ足を踏み入れたわけです。そこで、彼は気づいたらしい。「オレ、理系の勉強はたしかにしてるけど、なんだか友達と比べても知らない言葉がいっぱいあるなぁ」と。そこで、なんと彼は耳に入ってくる知らない単語や読んだ本等でわからない単語があれば線を引いて、その上ちっちゃいノートに書き出していた!たまに「○○ちゃーん(私のこと)、これなんて意味?」って私に聞いてくる。おおぅ、受験まではたまに彼の英語の先生だった私が今度は日本語の先生かい、とびっくりしつつ頼ってくれて嬉しかった。
こっちが“ホントにこんなんも知らないのか?”的な簡単な言葉や言い回しを聞くこともあった。どうも私だけでなく友達にもわからない言葉が見つかれば聞いていたらしい。「オレなー、アホだったみたい。だからこうやって覚えるんだ~」と、ちっちゃいノートを見せてくれたときはなんだかすっごいかわいかったよ!そしてなんていいコなんだ!とちょっとだけ感動した。
恥ずかしいことなんてひとつもない。むしろその前向きな姿勢がとってもカッコよかった。まぁ、私は姉だから「かわいい」が一番前にくる感情だったけどね。この後、知り得た言葉をアウトプットできるほどまでに琢磨したかどうかそこまでは知らない。

聞くは一時の恥というじゃないか。自分で調べれば恥もなくてすむし。
私は今、英語用のちっちゃいノートは持ち歩いている。イディオムとか語彙とか、知らなかったやつにぶち当たると書き出すようにしている。でも。英語もいいけど、かつての弟のように日本語用もつくろうかな。

あぁ、すいません。最後はなんだか弟賛歌みたいになってしまいました・・・。でも、ちっちゃいノートに知らない日本語(しかも特に難しい言葉でもなし)書き出してるってカワイイでしょ?!

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家出

実は、昨日家出していた。誰が?私が。 いい大人が、家出。客観的に見れば「ぷぷっ」と笑われることかもしれない。もちろん、笑ってくれて全然オッケーだよ。 そういやちょっと昔、ギャルなんかが「プチ家出」とか流行らしてたのあったなぁ。 あんなんとは全然ちがう。 あいつらは24時間漫画喫茶とかにダラダラ身を置いてなんとなく時間を(ムダに)過ごすじゃん。そんなんじゃないもん。 ちゃんとシティホテルをネットでシングル一部屋予約して、今読みかけの本(上下巻)とか顔のパックとか荷物に詰めたのさ。

なんで家出したかというと、「ダーリンとケンカ」したから。 “おいおい、ojouはケンカごときでいちいち家をすぐに飛び出すヤツなのか?!”と軽く見ないでいただきたい。そんなワケないじゃん。大人っすよ私。 でもねぇ・・・。やっぱり夫婦であろうが恋人同士であろうが、帰るおうちがいっしょで寝るときも同じ部屋ていうのは、普段何もないときにはそりゃぁそれに越したことはないのですが。どーしても顔も見たくないとか(これはちょっとワガママだと個人的には思いますが)、よくよく考えてもここはいったん距離を置かなくてはいけないナと思う時に「逃げ場」がない。ちょっとそれますが、そんなとき実家にすぐ戻っちゃうお嫁さんつーのが世間にはいらっしゃるらしいがオヤの立場に立ってみれば「冗談じゃない」といったところだろう。そんな勝手な自己都合でオヤを心配させてはいけない。そんな親不孝、天が許しても私が許さない。(大げさ~・・・)

まぁ、犬も食わないということですので「ケンカの詳細」については省きますが、とにかくお互い一人にならんとイカンと思ったわけです。アンタもアタシも頭冷やせよ、と。 やっぱりねぇ、カップルというのはお互いに信頼を持ちあって二人でがんばりましょうという状態でいることが大事です。 しかしそれが困難になるようなことは、油断しているとどんどん積み重なっていきます。そうなると、今までなんでもなかったことや小さなコトも許せなくなり、いちいち指定したり反応してしまうに至ります。 要するに思いやりがどんどん欠けてしまう方向へ意図せずとも進んでしまうのですね。

今書いたことは私が考える破綻へのいちモデルケースであって、自分の現状には当てはまっていません。しかし、そんな状況にまで進ませたくなかったのです。ところが、二人の危機感の捉え方に誤差がある。どうにか「私はこんなに危機感を感じています」という危機レベルを示すことからはじめなきゃ、とまず思ったのです。

女性というと、どうも感情が先走って家を飛び出しちゃうイメージが一般的にはあるはずです。私だって、そういう女の子・奥さんを見てきたしね。ただ、今回の私の家出はそんな感情むきだしの行動ではないのです。いや、少なくとも「ないつもり」です。冷静に問題点を抽出し、話し合う必要があることをわからせ、話し合う場を閉鎖的な空間である家の中ではなく外に設定し、そのすべての段取りを取る。

彼の仕事のあと、私の泊まっているホテルの近くのダイニングで二人で話し合い。ごはんを食べ終わるころには、お互いの思っていたことのより深い部分まで吐露できてスッキリ。これからはもっと理解を示しあって二人でがんばっていこうね的ムード。解決だ。そして・・・
私「風呂入ってく?」
ダ「は?」   深刻な話がすんだら突拍子なく今度は風呂だ。そりゃ“は?”だろう
私「あそこ(ホテルを指して)泊まるの。今日。最上階に露天風呂あるんだって」
ダ「まじー?」   露天風呂好きのヤツは色めき立つ
私「とりあえずクルマで家までは送ってあげるからおいでよ」

部屋でゆかたとかタオルとか渡して、二人して大浴場へ。都会のどまんなかのビルの最上階の露天風呂はなんだかとっても風が気持ちよかった。サウナもあって、それぞれを堪能して部屋へ帰った。先に部屋に帰っていたダーリンは「ぷひ~ぃ」とリラックスした顔でベッドに寝そべってテレビを見ていた。

・・・コラ!これから「仲直りのムフフ」が始まるんじゃないかとちょっと期待して読んだそこのアナタ!あぁいう時に限って燃え上がっちゃうんだよな~・・・て、残念だったな。 しばらくほてりを冷まして、フツウにクルマを出して彼を家まで送り届けたよ。とんぼ返りでまたホテルへ戻った私は、部屋でひとり、期間限定ピノ・カフェラテをつつきながら思う存分持ってきた本を読んでそのまま朝寝坊も存分にしましたとさ。

翌朝。非日常空間で一晩すごし、彼とのしこりもとれ、とてもスッキリした気分でチェックアウトした。 家に帰ってきた夜、なにごとも二人の間にはなかったように「ただいま~」と帰ってきた彼の顔は心なしか嬉しそうだった。何が?それは彼でないとわからない。けど、家に帰ったら私がいるというフツウのことを嬉しいと思ってくれたのなら、私も嬉しい。

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ギャップがいい、ていうてもね・・・

恋に落ちるときのパターンその4くらい(←テキトー)で、「見た目or自分の思いこんでいたタイプとは全く違う側面を見たとき」胸がドキュ~ンと打ち抜かれてもうトリコ。て、やつ、あるそうですね。

“あるそうですね”というのは私はあんまり人を見た目でどうこう思わないから、ギャップに気づかされることもなく、また恋に発展することなく終わるかフツウに知り合い・友達づきあいが続くので「世間では・・・らしい」程度の認識しか持ち合わせていない。こういうのを「自己愛が強い」というとかいわないとか。一見「人を見た目で判断しないイイコ」に聞こえるけど、要するに他人にそこまで興味を持ってないんじゃないかと自己分析するに至っている。どっちなんだろうね。

さてさて。別にコイバナしたいわけではございません。人というのはギャップごときで恋に落ちるほど単純なくせに、ギャップ自体はものすごい破壊力やショックを与えるパワーを秘めている、というハナシ。

昨日、信号待ちで私(のクルマ)が一番先頭だった。しかし、停止線を越えてさらにクルマの列の前にバイクが一台止まった。郵便局のバイクだ。白いヘルメットからは肩までの黒髪にウェーブをかけて後ろで少しまとめてそこにリボンのバレッタかなんかしているのが見えた。ちょっと今風ではないそのパーマなどから、オネーサンではなさそうだけどそのリボンがオンナゴコロをチラリ覗かせているようなかんじに見えた。どんな人かなぁ・・・。後ろの荷物箱にご丁寧に名前が書いてある。○○局 ○○静香。名前のセンス的にはそんなに年いってなさそうな雰囲気。あ、ちょうどいい角度でバイクのミラーがコッチ向いてる。のぞき込んだその丸い枠に映り込んだその女性の顔は・・・・。

ブルドックだった。
いや、失礼、ブルドックのようにたれた頬の肉、化粧っけゼロ、眼孔鋭く信号を一心に見つめる目。肌の質感がその小さいミラー越しにも手に取れるようなクレーター肌。うわー!お疲れさまです!!とナゼかその瞬間心にでてきたのはそんな言葉だった。

おいおい、なにブルドックにひいてるんだ私。後ろ姿のオトメゴコロちらりと顔の印象のギャップに驚くならわかるけど、なんで“お疲れさまです”なんだよ私。 いや、ね。この人が勤続何年なのか、はたまた配達はベテランなのかなにひとつわからないけど、荷物箱にちゃんと名前のプレート貼ってるくらいだから職員だと思うのね。バイトではなくて。毎日、その化粧っけのない顔を向かってくる風に・日光にふきさらしての結果ああいうお肌、表情になったのだろうな・・・と勝手に解釈しちゃったんです。あの瞬間。

紫外線というのは怖いモノで、浴びると確実に肌が老化しますから。まず、毛穴が開くし肌の内部のコラーゲン繊維とかがバラバラになってハリも失うんです。ハリを失うと、表皮がたれてきますよね当然。配達って、たぶんずーっと無表情で働くんだと思うんです。顔を動かさないと、表情筋が弱ってくるので今度は肉ごとたれてくるんです。まぁ、ここまでいったらあのブルドック顔の一丁出来上がり、と。

私なんかは、ホラ、自己愛の人間ですから、自らの見た目には気を遣うわけですよ。やっぱりオンナノコだしね。ダーリン、その他にキレイって言ってもらうのがどこかでハリになってるしね。鏡に映った自分が納得いくレベルじゃないとイヤなのです正直。だからこそのお手入れ・エステだったりするのです。そういう「キレイでいたい星の人」から、郵便局の彼女を見るともうまさに「異星人」なのです。たぶん美容に対するスタンスが違うというより、生きることのベクトルが違う んだと思います。いや、これは彼女への否定でもなんでもありません。だって、繰り返しますがベクトルが違うんですから。

さて。話はちょい変わって。生きるベクトルが違うからと言って、彼氏彼女と別れる人がいますが。あれはチョット間違っています。
異星人同士、共存はできるのか? 答えはYESです。
こういうときこそ「このギャップがたまらないんだよね。新鮮でさぁ」というスタンスになれば、うまくいくと思うのですが。どーなんでしょ。 これ、文化が違うからと憎み合ったりする国にもあてはまらないですか?何をよしとして何を悪しきととるか、このへんのベクトルの違いを理解した上で「ギャップはそりゃぁあるよね、うちら違う星の人同士だし♪いや~、新鮮っすよ」てなノリでおつき合いすりゃーいいじゃんか。だめかい?

まぁ、往々にして人間ちゅーのは自分の星以外の人を排除したがる傾向にあります。私だってもしかしたら、日々の中でそういう態度をとっているかもしれません。気づいていないだけで。でも人間というのはまた、オモシロイものに興味をもつとそれをモチベーションとして動けるものでもあるのです。だったら、他の人に感じるギャップをオモシロイと思って理解しようとする努力も難なくできるはずです。このへんのメカニズムを現代人はどうも生かしてない。実にもったいないと思うよ。

なんだか、信号待ちのハナシから国家のハナシへ飛躍してとりとめないけど。そう思ってるのだよぅ。私はね。

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春と言えば、あっちもこっちも恋の季節ね

今日、車で信号待ちをしていたら桜の花(花びらじゃなくて花いっこ、まんま)がフロントガラスにひらひら~ぴとって落ちてきたよ。しかも顔をコッチに向けたまま、何のイタズラか、目的地までずーっとそうやってくれていたの。アイツは今日の天使だ。

そんな、春のぽわわ~んな陽気に誘われて、コイバナでも書いちゃうよ。もう。 浮かれポンチだ。だって、車を掃除したのね、今日。そんで、ふと見たらボディに細長いちいちゃい虫がとまっていたの。あんまりちいちゃいから、初めわからなかったよ。でも、それは細長いんじゃなくて2匹連結してたんだよね。 そう、世に言う、メイクラブ中だったのよ。もう~、アッチもコッチも春爛漫過ぎだよベイベ!思わず、そっとしておいたりして。

さて・・・。冒頭でコイバナなんて言っちゃったけど、難しいよ。実際。あのね、「ラーメン」とか「○○のロマン」とかなら、お気軽にみんな好きなこと語っちゃうでしょ。でもこと「愛」についてなんか、無責任に語れるほどアホでもバカでもないよぅ。ほんとのところ。そんなこと平気で語れちゃうノーテンキがいたら、引きずり出してきてほしいよ。

唐突だけど、「今まで一番苦しかった別れってどんなの?」ってぶしつけにも聞かれたらアナタは「ぐっ」と変な音を出してしまいませんか?一瞬にして、あの時の辛い気持ちが心を刺すようによみがえる・・・。忘れようと努力した時期もあった。それでも忘れられなかったとき、前向きにあきらめるように決心した。だんだん記憶メモリのなかで過去のカテゴリーにしまわれていって今は機嫌よく暮らしているのに、よくもそんな質問しやがって。 色んな思いが去来するなか、アナタはあの人とのやりとりなんかを走馬燈のように思い浮かべる。最後の言葉、最後のやりとり。あの人の態度、それを客観的に見ている自分の気持ち。

いや、なにも私の今までで一番辛い恋愛の話をしたいわけでも、別れの話をしたいわけでもないのです。言いたいのは、今まで生きてきた中で十分とはいえないまでも、学習したこと。それは、 「恋愛の始まりは特に理由もないのに、オワリには必ず原因がある。そして、恋愛の始まりのカジュアルさに比べれば、オワリはとてつもなく体力気力を消耗する」です。

まぁ、自分から別れようと言った立場であっても言われた立場であっても、あんなにエネルギーいるならいっそ・・・(←・・・は各自思いついた言葉を入れて読んでね)!と大なり小なり思ったことがあるはずです。そして、終わらせ方に個性というか本質が出るような気がどうもするようなしないような。あくまで私的見解ですが。 「理想の結婚」とか「理想の彼/彼女」についてはよく議論されますが、「理想の別れ方」についてはどこいってもほぼ触れられませんね。

「理想の別れ方」のステレオタイプがないのは、たぶんさっき言ったようなことが絡んでいるようないないような・・・。あくまで私の主観ですが。ついつい人というのはキレイに別れたがります(特に男性)。せめて誰も苦しまないよう別れたい、せめて誰も傷つけたくない。 アホか、だ。恋愛にプロはいないが、シロウトはいる。そして、シロウトがいるとしたらこうやって「無血終結」を望むヤツなんじゃないか。無傷で終われる恋愛。そんなん、誰かを愛したとは言えません。そんなの、自己愛です。誰も傷つかない、そんな別れが最後に存在する恋愛ってそもそもアリなのか。

飾りもなければ、美しくもなんともない、極めて現実的な平凡な言葉が恋愛のラストにおいては一番説得力をもち、一番力を持つ。 そーゆーもんです。 あれ?コイバナって、こんなに重い話するつもり毛頭なかったのに。おっかしいなぁ。あ!もうひとつ、大事なこと忘れてた。

一生のうちでそうやって苦しい恋愛をした人っていうのは、けっこう人間味において丸みがあるような気がする。イマドキって、自己愛がどうしても優先してしまうから傷つかないように恋愛してみたり、傷つかないうちに恋愛を終結させてみたりする人って多くなった。だからこそ、一回でも苦しい思いをすることはとてもステキなことだと最近思います。そうです、ハイ、今日の結論! 「恋愛は苦しくてイイのだ」(バカボンのパパ風に)。ほら、言うじゃない?恋のお味はビタースィートってね。 こら!恋の初めの甘い汁だけ吸ってあとはヤ~メタってヤツ!恋はラブラブスィートなモノ(間違いではないけどね)って認識があまいんだよ!そんなんじゃぁ、人生の荒波を渡る途中で息切れしてしまうぞっ!

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英才教育?

三つ子の魂百まで、といいますが。 確かにちいちゃいときに習得したことって忘れないし、忘れたようでも体が覚えていたりします。

たいていのトップアスリート、トップランナー(走る人って限定しない)は結構物心つく前から英才教育されてますね。ゴルフの藍ちゃんもさくらちゃんも父親に幼いときから勝つゴルフをたたき込まれているし、タイガーウッズもそれですね。水泳の北島も幼い頃からクラブで平泳ぎを磨いていました。スポーツだけじゃなく、音楽の分野も英才教育は欠かせない要素ですね。著名な○○イストはほぼ全員、2歳3歳から音楽を始めています。

そんななか、佐藤琢磨は例外です。彼は初めてハンドルを握ったのは18歳だそうです。それで、あのリザルトを叩き出せるって言うのは天才です。

ひるがえって、私はというと。ん~~、放任主義だったウチの親は特に英才教育を私や弟にしたことはなかったです。一応ピアノを習わせてもらっていたおかげで、絶対音感を持つ人間になれましたが。かといってカラオケうまいわけでもなんでもなく・・・。趣味程度にはジャズとか弾けるだけ、「かい」はあったのかもしれませんが身を助けるほどのものには全く育っていません。 お習字もけっこう長く習っていたおかげで、字は綺麗です。これは直接職につながったりするもんではなくても結構得をしているかもしれません。しかし、やはり「芸は身を助く」には至りません。

ところが、いっこだけすっごいトクしたというか・・・「おかぁさん、アリガトウ」と後に思い知らされることがあります。 それは「NHKこども英会話カセット」。まだCDとかMDなかったんで。カセットです・・・。昭和だもん。 絵本を見ながらカセットを聴く。それだけ。 内容はシンデレラ等のお話とか、“えいごのおねぇさん”と“えいご勉強中の男の子”2人とのかけあいとか。未だに覚えているフレーズ、「ズィ~ブラァは死んだうまー」「死んだ馬じゃなくて、し・ま・う・ま!」。けっこうしょーもないでしょ。

当時、そこそこ(そんなしょーもなさが)気に入ってそのカセットを聴いていた記憶があります。かといって、突然子供の私が英語でしゃべり出す、というような奇跡も起こらずテープから聞こえてくる英語を完璧に理解したこともなかったです。 そのまま小学校に入学したぐらいから、そのカセットは見向きされることもなくなりフェードアウトしていきました。

しかし、中学校に入って学科に「英語」が新たに加わったとき「こども英会話」が生きてきたのだ。唐突に。 教材のまるっぽ全部、ナニ言っているかわかるし発音も完璧に出来た。 自分でもその時はまさか、幼少時代のあの経験が生きているとは思いつかずこの現象をフツウのことと思っていた。次第に、まわりのコ達とレベルの差がついてきた辺りから「あれ?私だけ?」と感じるようになった。 できる教科というのは、それだけおもしろみを感じるモノでどん欲に知識欲を満たしていこうとしていきます。どんどん自分からすすんで勉強しました。いや、勉強したという感覚ではないですね。強いて言うなら、求めていったとでも言うべきか。そのまま高校に入っても興味は失せず、ますます英語好きになっていったのでした。 小林克也は留学とかホームステイとかそういうことは一切しなくても英語がしゃべれるようになったと聞きますが、わかる気がします。

そんなこんなで、特に受験勉強しなくても英語の偏差値はKワイ塾とかSン台等の全国模試でも上位にランクインするほど高かった。現代国語も同じく高い偏差値をなぜかあげていたので、国語と英語だけで行きたかった大学も楽に入れた。 ちなみに、ああいった模試で「模試結果回答&ランキングの本」に名前を乗せることが出来るといくばくかの図書カードがもらえた。私はそれでドラゴンボールの単行本を買った。

しかし、あのとき楽勝と思えた英語も今ではかなり錆び付いている。まじでやばい。でも最近、いい方法を知った。 「24」にはまった人が、それこそぶっ続けでDVDを見まくってたらアラ不思議、字幕なしでセリフがわかるようになっちゃったというではないですか。 おぉ~、ちょっとナルホドな気がする。たしかに朝から晩まで外国語漬けの環境ではすっぐに順応してしまうものだからね。耳がそっち対応になるんだろう。うーん、でも私が好きな英語のDVDって「シンプソンズ」なんだよね・・・これで果たして英語のアタマになれるのかなぁ。どぅっっ!!

そんなこんなで私の場合、必ずしもいいことずくめではなかった。なにしろ、楽ばっかりして勉強する習慣をつけなかったもんだからいざ大学に入ると、研究とかゼミとか自分でなんとかしなきゃいけないのが少々苦だった。それに第2外国語はまったく楽できなかった。初めて触れる言語には全く力及ばず。要領で乗り切ったようなもんだ。

もし子供ができたら、なんらかの英才教育をしてあげるのも悪くないなと思っている。でもまだ物心つかない子が自らの道を選択することなど出来ないわけだから、考え始めると難しい。文か武か親さえもわからないであろうに。 う~~~ん、とりあえずアスリート方面ならやっぱスキーやって欲しいなぁ。それかサーフ。・・・て、私の趣味まるっぽじゃん。 外国語はやっぱ、出来た方がいいとして・・・何語かなぁ。これからは中国っていうから北京語?英語もたしなみとして出来ておいた方がいいしなぁ・・・。 (と、ここでまだいもしない子供にどんな教育するかでちょっと楽しんでしまう)

とかいいつつ、私も放任主義になったりして。琢磨の例もあるし。決して幼少の経験が実を結ぶとは約束されていないわけで。ま、将来どう転ぶかまだ私自身もわかりません。しかし、小さい頃からやっていたことはアドバンテージを生む、これだけはまぎれのない事実ですね。

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毎号楽しみな雑誌

クルマを乗っている人なら、JAFに入っている人も多いと思うし、お世話になった人もたくさんいると思う。

今ウチは免許のないダーリンがまだ会員で、私はロードサービスつきの保険に入っているから特に必要性を感じていないので非会員だ。
でも、次年度からは私が会員になってダーリン(どー考えてもコイツはいらんだろ)は脱会しようかなと考えている。

今はロードサービスが無料で付加された保険があるし、「路上で困ったとき」のJAFの必要性を考え直す人も多いだろう。でも保険でカバーできる無料ロードサービスって自宅駐車場ではダメとかレッカーは○○キロまでとかの制限もある。よく確かめねば。

想像してみる。・・・高速を走っている途中、ガス欠になる。なんとか路肩へ停めてロードサービスに電話する。「三角板があれば後方に出して、あとはむやみに外へ出ずに車中で待っていてください。○○分で到着します」とオペレーターにてきぱき指示さてる。待つことしばし。後方から赤色灯をまわして作業車がやってくる。・・・
やっぱり、この場面で思い出すのは見覚えのある「JAFと書いた青と白の作業車」じゃないか?そしてそう思った通りのクルマが来てくれた方が安心じゃないか?

でもJAFの活動はロードサービスだけではない。国際免許を取得するときもたしかJAFを通したような気がするし、A級・B級・カート各ライセンスを取るときもJAFは絡んでいた気がするし、クルマに関する啓蒙活動もやっている。行ったことはないけど、会員には無料の「チャイルドシート取り付けチェック」とかたった何百円かで受けられる「苦手運転克服講習」とか開催している。事業内容は幅広い。

そして。コレをはずしてはいけない。 「JAFメイト」。
一応定価90円らしい。
まず表紙がいい。毎号かわいい動物の写真なんだけど、悶絶しちゃいそうなくらいくぅぅぅぅ~~~っ!カワイイっ!!て写真もあれば、わはっ!ナニこいつぅ~?ってほのぼのした写真もありーの。毎月コレで癒される。
そしてもちろん中身充実。クルマで出かける旅を提案してくれる連載特集。ドライビングテクニックの特集。事故回避をトレーニングするその名も“危険予知”。「どーです?事故っちゃったらコワイんですよ」的内容にとどまらずに今現在の交通事故に潜む盲点などに警鐘を鳴らすようなことも盛り込まれている“事故ファイル”。自分ではやっちゃいけない・できないけどソコは知っておきたい!というポイントを実験&実証してくれている“ユーザーテスト”。このへんが主な記事で、あと、世界のクルマ情勢のニュースとかも面白い。
しかも、ほぼ広告がない。裏表紙は一面広告なんだけど、紙面中にはほかの雑誌のようなウザイ広告はほぼない。あっても目立たない。よって、JAFメイトはペラペラだけども中身がぎゅうっと詰まっていて保存版にしておきたい号も躊躇なくおいておける。

私の保存版。「雪道運転の常識」「山道をきびきびと走る」「4WD車は雪道に強い?」「冬道デビューで泣かないための事前準備」・・・ははは。こうして見るともろスキー仕様だな。もちろん、「紅葉ドライブマップ」「温泉街ドライブ旅行」「牧場で遊ぶ ドライブガイド」辺りもいつか行きたいなーと思ってとっていたりする。

いわずもがなだけど、誌面をものすごく「マジメに」作ってある。今時の創刊ブームに乗ってとにかく出しちゃえ!的雑誌にはその姿勢を見習って欲しいゾ。
そしてそれぞれの記事が有益で一度読んだだけではぽいとなかなか捨てがたい。
たまには「そんなこと解ってるモン」っていう運転や交通に関する記事にも出会う。それでもその記事を読むことで理解を深めたり再認識させられるきっかけになる。
ターゲットにしている読者も幅広いから、記事の幅も広い。ハッキリと書いてないけど、どーみてもどんくさい運転の女の人(&おっさん)向けの「前向き車庫入れハウツー」とか、今更だけど意外とお役立ちな「ワイパー交換に挑戦」とかもアリ。

とにかく。告白すると毎号のJAFメイトがくるのを楽しみにしていたりする。定価90円と配送料でたぶん160円ほどの実質値計算。広告ばっかりで分厚く読みづらい雑誌に1000円近く払うのに比べたら、ポストまで届けてくれてとってもためになるこの雑誌は「買い」じゃないかな。

そうそう。はじめに出した想像のシーンではJAFはお金をとりません(会員であるとこが前提です)。ガソリン10リットルほど(これもタダ)給油してくれて、「では次からは気をつけてね。」とかの言葉を残してコッチのクルマが発進するのを見届けてくれるはずです。決して「危ないじゃないか!」って怒ったりしないはずです。そこがまた救いだったりしてね。

どっかに私みたいな「JAFメイト」好きっていないかな。
やっぱねぇ、社団法人はあまたありますがこの「日本自動車連盟」、やってくれます。拍手ぱちぱちだ。
注:なんかJAFを持ち上げすぎ?かもな記事ですが、別にまわしもんじゃないです~。

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なぜだかわからないけど涙が出るよ・・

本を読んだりして、または写真をみたりして、または空を見上げて。
そんなときに、悲しくもないのに、そして特に感動したわけではないはずなのに、かといって嬉しいって気持ちになったわけでもないのに、つつーーと涙がこぼれるときがある。心自体はそんなに動いてないの。微弱動、程度かな。乱暴にカテゴライズすれば、「感動」の範疇になるんだろうけどさ。
あれはなんなんだろう?特に自分が弱っているとか、そういうワケでもないのに。
例えば、精神的に参っている時に夜空を見上げて「なんか宇宙ってでかいよなぁ・・・・・・・・・」涙がホロリ的なアレではないの。またそれとは違うの。

自分でもわからないし、たぶんああいう気持ちを表す言葉が見つからない。というか、まだあの現象を現す言葉は発明されていないのではないか?
たとえば、その「発明」という言葉は意外と歴史が浅い。それまでの時代にも「発明」という行為は存在していたはずなのに。なんと言っていたのだろう。

最近、そんな「なぜだかわからないけど悲しくもないのに涙が出る」本に出会った。ものすごく感動するとか、そんな内容じゃない。淡々とした文体で、でも内容はふわふわしたつかみどころのないお話。不思議な感触に捕らわれる。で、なんだかわからないうちに涙がつー・・・と出てくるのだ。そんな自分に「?」ってなりつつ、嫌な気分ではない。その本は川上弘美の「神様」っていいます。私にとっては素敵な出会いでした。

あ~、ああいう涙って「なに涙」っていえばいいの?ああいう気持ちってなんていう語が適切なの?平静な心にかすかに風が渡って、水面に音もさせずにさざ波をたてていく感じ?う~~~伝わらないよね、これじゃ。つーか、こんな「ヘンな涙」が、人がみな体験しているのかもわからない。単語にないくらいだから共通体験としてはものすごくマイナーなのかもしれない。

私が運転中に急に黙ったり、歌うのをやめたら、それはたいてい道ばたの何かや空の模様なんかにヤラレて涙をガマンしていると思って間違いない。

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あ・うんの難しさ 「~でいい」でいい?

ちょこっとしたケンカの種になったのが「~でいい」という言葉での勘違い・すれ違い。

なんだかんだ言いながら、本音を最初から出さない日本人。遠慮してる風味で、その実「わかれよ!オマエ」的遠回しな言い回し。もうヤダ。
けっこう、私の住んでいる地域は日本の中でも「言ってることと思ってることとが違うけど、そこんところはわかんないとバカ」ってことになっている。そんな難しいお土地柄に育って私だって一応「うっとおしいほどの難解な言い回し」をマスターしているつもりだが、本当のところ、ストレートにモノを言うし言って欲しい。

「言ってくれなきゃわかんないじゃん」て言う人は多い。特に女子。ストレートな物言いが好き、とはまたちょっと違う。要するに「あたしバカだから日本語的表現がわかりません」ってことを差している。これは困る。相手の馬鹿さ加減になんでコッチが付き合わんとイカンかなぁ、オイ!と思う。日本人なら「あ・うん」でわからんといかんことも多々あるだろーよ。どーしたもんかねぇ・・・。なんでこんなに自国の言葉を使いこなせない奴らが増殖中なのだ?教育か?文化か?環境か?それとも時代か?
「皆まで言うな!」・・・これは日本人同士のコミュニケーション上よくある風景だが、いい関係じゃないかと思う。「もう、いい。黙ってろ。そこからは言わなくても解るから」そんな思いが伝わってくる。
それと正反対が前出の「え~?言ってくんなきゃワカンナイ~」だ。「アホか!わかれよこのボケ!」と思われるのがオチだ。なにより自分の理解能力の低さを露呈していることに気づいていないくらいことくらい恥ずかしいことはない。逆に聞いてるコッチが恥ずかしくなるわ。

ちょっとそれたけど、今日のケンカはほんのり「言ってくれなきゃわかんない」部分もあり~のの話だった。
電話で“今日はなにを晩ご飯に食べるか”という議題の元、ダーリンは「○○でいいよ」という表現を多用した。
ひるがえって私は「ホントは△△が食べたいんだけど、ちょっとお値段はったりするしね。第二候補辺りの○○で手を打ちますよ」的気持ちのもと、「○○でいよ」という言い方をすることがままある。
今日のダーリンの「○○でいいよ」はそんな気持ちが裏にあるのかなと勝手に踏んだので、「だから、ホントはナニ食べたいの?」などとしつこく聞いてしまった。
しかしダーリンは特に何を食べたいという希望もなく「何でもいい」を繰り返すだけ。煮え切らない。
結果から言えば、私の思い過ごし・勘違いだった。ダーリンは「疲れているからとにかく何でもいいからちゃっちゃと晩ご飯をすませて寝たかった」それだけのことだったのだ。そういう背景があって「○○でいい」発言に至っていた。

ま、電話だけ・声のやりとりだけでそこまで読み切れなかった。まず状況がわかりにくいし、そんな話題も出なかったから。どうすればよかったかなんて今更どーでもいいんだけど、例えばダーリンが「今日はとっても眠い」とか伏線をくれていれば少しは違う展開を迎えられたかも知れない。
私にすればダーリンは説明不足というか、言葉足らずだったように思う。また、ダーリンからすればいちいち細かいことまで言ってられるかヨとの思いもあったろう。こういうすれ違いって些細だけど、イラッとくるよね。
まぁ、一緒に住んでいれば仲直りの時間だっていつでもつくれるのだけど、これが遠距離恋愛の人やなかなか会えないカップルだとツライだろうな。それだけ日本語は難しいということか。

外国人の中で、それはそれは流ちょうに日本語を操る方がいらっしゃるがあれは本当に感心する。「言ってくんなきゃワカンナイ」ガールは見習ってほしいものだ。

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遺品の分け前

去年、おじいちゃんが死んだ。子供達(つまり私の親やおじさんおばさん達)に最後を看取られ、病院で静かに冷たくなっていった。でも、もう最後は意識すらなかったので「色んな機械につながれてどうにか生かされている」生命体ってかんじだった。

そして明日、納骨です。特になにか高ぶった感情があるわけでも、かといってヘンに冷めているわけでもない平静な気持ちです。いつもの日曜に法事が入っている、程度。とはいえ、よく知っている人を見送るのは私のこの年齢ではやはりおじいちゃんおばぁちゃんくらいのもので、そういう観点でいうとまだ3人目です。

おじいちゃんは、いわゆる「資産家」だった。詳しくは言えないが、そこそこ残している。それをお父さんはじめ、子供世代が話し合い&遺書により分け合ったようだ。孫である私はそれを遠巻きに「ふ~ん」と見ていたに過ぎないし、実際どういう分配をしたのかなど全く興味がない。

今日、昼に父から「おじいちゃんのもの、明日納骨に来てくれた人に持って帰ってもらうから、今のウチにツバつけときなよ~」ってめっちゃくちゃカジュアルに電話が来た。ツバつけるって・・・・オヤジ!曲がりなりにも遺品なんだろ?その言い方なんとかしろよ!まぁ、明るくていいか。父らしいわ。

遺品を分けたのは今回が初めてではない。葬式を出したときも同じようなことをしたと聞く。その時も同じように父は「欲しいモンあったら先にとっときなね~」って言っていたっけ。特に欲しいモノもなさそうなので、その時は見向きもしなかった。今日だって、別になにかもらいに行くつもりはさらさらなかったけど、たまたま実家に用事があったので出かけた。それに夕方にももう一度父は電話をかけてきて「見るんだったら○時までに来いよ~」とか言ってきたから、きっと相当私に会いたいのかな・・・?と思ったからでもある。顔見せるだけで孝行できるなら安いモンだ。

遺品といっても、物置小屋にしまってあった頂き物とかが主だ。鍋とかタオルとかお皿とかグラスとか。それを見て「ほ~らね」と思った。なにひとつ掘り出し物などなさそうな感じ。正直これが資産家の遺品?てかんじ。でもとにかく品数は多い。
お年寄りって戦争を体験してきているから、俄然「モノを捨てる」ことをよしとしない。ともすれば「捨てられないダレか達」ばりになんでもしまいこんでいる。それを目の当たりにした。しまってある期間が長いからだろう、少しほこりっぽいというかかび臭い空気が充満していて思わずむせた。

その中で、手頃な大きさのうるしの具合が私好みなお重があったのでそれをもらうことにした。それと、「おっ!これはなんだかカコイイぞ」と思ったお寺の軒先などにあるでかい黒鉄の灯籠っぽいのがあった。父と、「見て見て!これなんかカッコイイよ」「あ、ほんとだ、めっけもんだ」と取り出してみたらそれは灯籠ではなく「風鈴」であることが箱の記載からわかった。重量もけっこうあって、かなりステキだ。日本家屋なんかだといっそうお似合いだろう。箱の中にさらに小さい箱が入っている。風鈴だからチリリンとならすための玉が入っているはずだった。その小さい軽い箱を父と開けてみた。・・・・・空だった。
はぇ~~~???おじいちゃん!この肝心の風鈴玉はどこへ消えてしまったのですか?
ま、風鈴としてでなくとも立派に軒先のオブジェになりそうなので、これは父が「ツバつけた」ことにしましたとさ。

納骨自体はきっと厳守な雰囲気の中で執り行われるのだろう。おじいちゃんはどっかのお空で、こんな父や私を見てくれているのかな?「死んだらそれまでよ」というが、なかなか哀しくも真理のようだ。私はたぶん、死んでまでなにかを残すようなことは出来ればしないでおこうと思っている。ただの強欲かも知れないけど、自分のモノは自分で使い切ってしまいたい。ま、子供とかできるとまた考えもかわるのかもしれないけどね。今はそう思ってる。

粛々とした話でキレイにまとめようと思えばまとめられるのに、やっぱりお茶目パパ登場したり、とりとめのない散文になっちゃった・・・てへ

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色気ムンムンおじさま

普段の生活をしていて「色気が匂い立つ」ようなおじさまに出会うことなんかまずない。プチ色気なら醸し出している人はいるんですけどねぇ・・・。 しかし、芸能界にはやはりいらっしゃるもんだ。ビバ!芸能界。ビバ!ハリウッド。

ハリウッドにはそりゃーもうドバドバ色気出しまくっているオヤジがワンサカいるので、一人一人をフューチャーしきれない。今日は日本の色気オヤジね。 それで、まずこの人を思い浮かべるのだが。彼の名は「沢田研二」。 理由とかそんな細かいことどーでもイイのよ。若かりし彼のデビットボウイ風な体(てい)もかなりキテルんだけど、今の円熟した風貌に漂ってくるあの妖艶な雰囲気。顔にほくろがあるひとってちょっとエロっぽいイメージを勝手につけちゃうけど、この人もほくろマンだ。私も顔にエロほくろガールだ。わーい、一緒だ。(アホっす) ドラマではおじいちゃん役までこなすお年ながら、なんなんだ!?あのアトモスフィアは。話す彼はやわらかい京ことば。京都の方言はどっちかっつーと、「おんな言葉」。物腰の柔らかいたおやかな話し方が、落ち着いていてこれまたイイ!そして声がイイイイ~~~!声でとどめを刺されるネ。 ぱっちり二重がふせがちになったアングルでは、とってもけだるい感じに見える。たばこもお酒もよく似合う。パーフェクトだ。

二人目は孫がいても永遠の悪ガキロッカーな忌野清志郎サマだ。最近ライムスターと「雨上がりの夜空に35」をリリース。これの仕上がりが、いいんだ~。いっつもチャリで都内を移動されるらしく、そんなロードレーサー姿がキメにキメまくっていてチャリライドを楽しんでるのがすごく伝わってくる。そして絵本も出していらっしゃる。テーマが地球の森を守ろうっていうとっても優しい内容。音楽も出来て絵も描けて、マルチだ。しかし話し出すとなんだかとってもシャイな少年のよう。これがね、またキュンとくるのよ。主張はするけど平和を愛する、そしてライフワークはロック!なんなんだよ、この生き方。かっこよすぎ。

この二人は私の中で最高にかっこよくて最高にエロティックで最高に抱かれたいおじさまなのだ。 二人ともミュージシャンで二人とも顔に化粧をしていた(orしている)。でも色気の理由はソコじゃないの。若い頃もかっこよくて今もかっこいい。これを貫ける人ってなかなかいない。しかもかっこいいの中身は見れくれでなくて結局どう生きてきたかが雰囲気に現れている部分にある。
人は顔じゃない、というが実際にはどんどん顔に自分の生き様をきざんでいくものだ。犯罪を重ねてきた者は凶悪な顔にどんどんなっていくし、成功を収めた者はやはりえびす顔になっていく。人生の楽しみ方を知っている者は余裕のある顔になっていく。かっこいい生き方をしてきた人がかっこいい顔になるのは必然なのだ。

この人達のようなかっこいい・色気のあるオトナをみるにつけ、こう思う。 いまを生きるということは未来の自分を形成することでもある。せめて今よりもっとオトナになったときの自分の顔に自信を持てる毎日を過ごすことが日々の課題だ。

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ネェ、なんで、そんなにメシ食わすの~

大学を卒業してすぐに新卒として採用された会社になぜか期待を寄せられ、あれよあれよと家を出ることになった。初めての一人暮らし、初めての社会人生活。それまでろくにバイトの経験もなかった人間が4月から会社員。総合職。完全実力主義。
親としてそりゃ~、心配だったろう。

出張で父がその地に来たときは、会社の近くまで来てくれて一緒にコーヒーを飲んだ。どうだ?仕事は?的たわいない会話。また、晩ご飯をごちそうしてくれる時もあった。すてきなイタリアンのお店でデザートに「アイスクリームに熱いエスプレッソをかけて食べるやつ」を何気なくたのんだら、実はそのアイスに花火がついててすごい「キャユセレベ~」な感じで店の方も気を利かせてその花火がより引き立つように照明をほんのり落として持ってきてくれたっけ。父と娘の食事にそんな派手な演出いらんって。周りの客の「ナニナニ?誕生日か?」的視線が恥ずかしかった・・・。今ではいい思い出。(このシメ方、父が亡くなったみたいだな)

母も学会がソッチで開催されたときは訪ねてきてくれた。寿司屋でごちそうになったっけ。あ、寿司屋は父とも行ったな。父はうれしがりで単純で天然のオモロ人間だ。父との食事の思い出には必ず笑えるエピソードがもれなくついてくる。
また別のイタリアンではボトルワインを頼んだ。テーブルで給仕が目の前で栓を抜いてくれる。気取った雰囲気のなかでいよいよ栓が抜かれるその瞬間・・・・・「ポン!」ってタイミングあわせて言いやがった。でかめの声で。やめてくれ~、オヤジっち!ワインを抜いてくれたおねーさんも、大笑いしたくても出来ない立場ながらめちゃガマンしつつやっぱり笑いをこらえ切れてなかったじゃんか。あー、もー、恥ずかしかった。でもこれもうちの父ならではで、今ではいい思い出。(死んでないよ)

基本的に、家を出た娘をアウェイでもてなす手段は「ゴチ」だろう。たくさんゴチになった、ありがとう。別に貧乏してたわけじゃない。いや、逆に幸いにも営業成績は全国トップに毎月ランクインしているくらい、うまくいっていたしその分の給料も破格だった。新人社員が手にする額ではなかった。毎月がボーナスだった。そんな事情を知ってもやっぱりごちそうしてくれる。私には払わせない。

たまに実家に帰っても、なんかごちそうが待っている。フツウでいいのに、肩に力の入ったメニュー。急に地元の友達とメシることになったら、母はちょっぴりイラっときてたし父はしょんぼりっぽかった。

そう。もう自立しちゃった娘にすぐしてやれることなんか「メシ」程度なのかもしれない。経済的にも困ってなさそうだし、精神的な支えはたぶん彼氏とかそっちの仕事になっちゃってる・・。でもでも、親にとって娘はいつまでたっても娘であって、このことは“子離れしてない”とかそんなしょーもない次元の話とは全く異なるのだ。

今、クルマなら割とすぐ寄れる場所に居をかまえているのでしばしば実家へ行く。夕飯は自分ちでダーリンと食べるつもりの時も一応こう言われる。「ごはんは?食べていくの?」
また、実家へ行った瞬間にこう言われるときもある。「今日はあんたのごはんないヨ」
もう育ち盛りじゃないんだから、そんなにメシメシ言わないでヨ。もてなし過ぎだヨ。
「ごはん食べてく?」そんな一見たわいない言葉が、親の子を想う気持ちであふれていることを本当にありがたいと思う。
親孝行にも色んなカタチがあろうが、「負担じゃない程度に迷惑をかける」ことも孝行のうちと思っている。だから私は、急なことでも要るときは「ごはん食べさせて」って躊躇なく言うことにしている。

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歩道橋から1万円札をばらまいた男の人が気になる

ちょっとびっくりするようなニュースを見ると、ずっと印象に残っている。
このニュースはたしか去年春くらいだったか・・・。歩道橋から万札を「はなさか爺さん」よろしくばらまいた男の人はたしか、まだ30歳そこらでスッゴク賢い大学(国立だっけ)を出ていていったん社会へ出たものの人間関係がうまく築けず辞職後ひきこもりっぽいことになっていた。家で何をしていたかというと、ネット株取引。この人はアホではないので、当時経営破綻した銀行株だかなんだかを1円の時にカバッと買って2円とか3円とかになった瞬間にこれまたガバッと売って大もうけ(この辺の情報はうろ覚えなのでずれているかもです)。さらに彼のえらいところは普通の人ならほとんど価値のなくなったそんな株を買うのはものすごく怖いところを「いや、財務状況から考えればこの株価は割安だからかならず上がる(財務に見合った水準まで戻る)」とボードの弱気な雰囲気ではなくちゃんと決算書を読んだ的確な判断を下せているところです。

我々投資家は、まともであれば、ちゃんと損益計算書とか賃借対照表とかキャッシュフローとか色々読んで健全経営かどうか将来性があるか、そんなようなことを分析します。そうはいってもこれ、数字だらけでなかなかシロウトにはわかりにくいわけで。ところがこの人「公認会計士」の資格をもっていた か勉強したことがあるかなにかでその道のプロです。お手の物です。ちなみに私も公認会計士を目指しかけてあまりの難しさに挫折しています。オツムのスペックが違いました・・・。

で、この人ひきこもりっぽいのになるような人だから根がものすごくまじめなんでしょうね。「無気力」ではないようだから厳密にはニートではないんだろうけど、ニートのタイプ「つまずき(自信喪失)型」にかなり近いと思う。(つまづき型の説明:いったんは就職したものの早々に辞め、自信を喪失したタイプ その後の職探しを躊躇する。)
大もうけして思ったことが「オレは実際には働きもせず、こうして市場の差金を自分のものにしているけどなんだかこの金は実体がない。自分のものじゃない」こんなようなことを思ったようです。やっぱり真面目だ。働いた報酬としてのお金こそが真に自分のもの、的な考えが頭のすみっこにあったのでしょうか。理解してはあげられないけど、なんとなく解る気がします。
つきつめたら「お金ってナニ?」。 深いです。

さて、それからの彼の行動はニュースになったとおり。地元の歩道橋からお札をばらまいた。このお金が偽札や出自のヤバイものでなく彼が株で作ったお金だということがわかったので、警察もたしか厳重注意程度にとどめて刑罰等のおとがめはなかったと思います。まぁ、人騒がせではありますが。

なんか、この人の苦悩が「真面目さ故」な部分で非常に心が痛んだのです。対人関係さえうまく築ければ、彼はとっても優秀な働き手になれるはずです。出身大学や資格といったスペックではどこの会社でも引っ張りタコだろうし、私だったら自分の事務所興すね。一回社会でつまずいた位でその後の“はじめの一歩”が踏み出せないなんてなんちゅう弱っちぃ精神力!とあきれることはできるけど、誰にでも起こり得そうでもある。実際、現在社会問題となっているニート君さん達の「立ちすくみ型」と「つまづき型」はちゃんと4年制大学卒業してる人が多いと聞く。みんな真面目なんだな。真面目すぎ。これってすごく人としてイイ面なのに・・・。
だからどうのこうのと今回はそこまでつっこみません。今日の主人公は「はなさか爺さん」だから。ただ、はなさか爺さんを含めつまづいちゃった人に言いたい。 「もっと肩の力抜いちゃえ~!」
はぁ・・・、真面目だからなかなか肩の力を抜けないんだよね。無責任にたきつけるようでゴメンね。でも業種を問わずあっちこっちの企業は今、真面目な人材を心から欲しがっているので是非社会に戻ってきてその本分を存分に発揮して欲しいです。いーかげんなヤツがホント多いからさ。みせつけてやってくれ!
あのはなさか爺さん、今頃どうしてるんだろう・・・。

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ETVってすばらしい

ETV。教育テレビをNHKは自分トコなりにこう呼んでいるみたいです。そして視聴者にも浸透させたいっぽい雰囲気です。なのでそう呼んであげることにしてあげますが、フツーは3チャンか12チャンって言っているはずです。

順不同で書き出すと、好きな番組は多い。
ピタゴラスイッテ いつもここからがアルゴリズム体操します。ほかにも見所満載
えいごリアン 中村ゆうじ がでてます 俳優業の時とまた違う顔が楽しめます
天才ビットくん 中村ゆうじ・いとうせいこう がでてます。だいぶオモロです
クインテット めっちゃ楽しい音楽番組。最後のコンサートがすてきです
人間講座 2月7日から三輪明宏が全8回で人生・愛と美の法則をします
きょうの料理 本格的な各国料理を紹介するときがあります
マイスィートメモリーズ もうやってないけど、すてきな60~70`sナンバースがかかりました。主人公の女の子がまたカワイイんだ~
100語でスタート!英会話 ジョージの髪の色がころころ変わります
Get along with Japanese もうやってない。邦題忘れたけど小林克也と各国の外人達の生活に即した日本語を学ぶ番組。異文化コミニュケーションまるだしでいい
趣味の園芸 園芸はどうでもいいから柳生真吾さんがめちゃくちゃやさしい笑顔です。彼に癒される
サイエンスZERO 真鍋かをりがでています。子供向けとはあなどれない。最新科学情報満載。

全部をすべてチェックしてるわけではなく、なんとなくテレビつけたらやってて見ちゃうというパターンの方が多い。またこれ以外にも勉強になる番組もあります。
ビットくんでは中村ゆうじがユージンとしてヘンなおじさん風の出で立ちでいとうせいこう(セイコーって役)やらとからむんだけど、勝手にやってるかんじがおもしろい。ビットモンっていう視聴者のつくったモンスターをちゃんと動くCGにしてリーグで戦うコーナーもしょうもなくもおもろい。
こんな子供むけ見てるの私だけ?って思ってたらやはり類は友を呼ぶのか今晩からランデブー!?で一緒にスノボ行った友達も見てるらしい。スキー場への行き帰りのしょうもなトークでたまたまそんな話が出たんだけど、私だけじゃないとわかってちょっと嬉しかった。

海老ジョンイルが退陣してもなかなか受信料未払いが解消されないとか、色々問題山積みのNHKですがおもしろくてためになる子供向けかつ大人ウケもいい番組づくりをこれからもしていただきたいです。
しかしね、「教育テレビ」って名前はなんか押しつけがましい気がします。オマエに教育されるいわれがどこにあるんだよ!って反発心を招きかねません。その名前で長らくやってきてるから定着してるけど、「教養テレビ」くらいのほうがしっくりきませんか?

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スキー・スノボ業界を憂う

平日のスキー場へ行って来た。すっごい人が少ないの。
いや、土日でも少なかった。
毎年、来場者数が減っていっているようだ。たしかにブームはとっくに過ぎた感がある。でもそこに山がある限り、滑りにいからいでか

なんか原因があるのか?不景気と関係あるのか?シロウトの私にはわからない。それとももっとおもしろいスポーツが冬にあるのか?
私はクルマ派なのだが、乗り合いで夜行でスキー場へ行くバスも年々台数が少なくなっているらしい。たしかに、途中のSA/PAででくわすスキーツアー客もとっても少ない。
こんな風にしてどんどんマーケットが縮小してしまうと、そのうちスキー場がひとつまたひとつと閉鎖されていってしまうのではないかと不安だ。遊び場がなくなったらどこで遊べばいいの?

混んでいるゲレンデはキライだ。好きな人なんていないだろう。でもあらゆるスポーツに共通することだけど、プレイヤー人口のすそ野が広くないと未来の選手が育たない。今はまだいい。世界で活躍する若きスノーアスリートがいる。高校生ががんばっている。でも、その次世代、そのまた次世代って育っているのか?ま、正直そんな深いところまで知らない。育ってくれているなら私の憂鬱も杞憂ですむんだけど。

ちなみに私はスキー派だ。スノボもうまいが(自分で言うな)奥が深いのはスキーのような気がしてずっとモーグルっていうのしてる。
長野とか北海道のコがワールドカップや冬季オリンピックで活躍するのは、どっちかっていうと当たり前ぽくて・・。いや、もちろん応援してるヨ!でも雪ナシ県とかからもどんどん選手が輩出されてくれるほどにメジャーになってくれれば、もっと競技自体も注目されるんじゃないのかなぁ。

あ、これサーフィンについても思うのね。海なし県出身の世界に通用するプロサーファー。これってスゴクかっこいいと思う。やっとここまできたか、感。

スポーツっちゅうのは一生の趣味になりえるし、せっかく国内でできるモンはやっとこうよ!そこに山があるから。そこに海があるから。そこに遊び場があるかぎり。

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